2017年07月07日

平城京遷都1297年祭INDEX

「平城京の風景」、「奈良の日常」、「奈良のいきもの」、「大和郡山の風景」、「大和盆地南部の風景」、「奈良の本」の6つのジャンルにわけての早見表です。ご活用ください。

1、平城京の風景
平城京域の2007年の風景をお伝えします。
あ・直列円盤の謎:前編
い・直列円盤の謎:後編
う・大安寺伽藍いまむかし
え・油断大敵。小さな神殿
お・王朝脇の老舗
か・「市場」でビジネス
き・幾何学の丘
く・西大寺の変01
け・西大寺の変02
こ・西大寺の変03
さ・西大寺の変04
し・西大寺の変05
す・西大寺の変06
せ・西大寺の変07
そ・葬送な線上の日常
た・海な池
ち・この大量の視線を浴びて
つ・残る森、あるいは禁忌の森
て・奈良な休憩所
と・奈良な公園
な・判らない森
に・暴君な実利線
ぬ・完璧なる自転車道路網へ
ね・いろんな見立て重層
の・観念の軸。実利の軸
は・ロータリーの住人
ひ・古墳の谷のヒミツ

2、奈良の日常
奈良のなにげないとぼけた日常風景をお伝えします。
ふ・空中浮遊
へ・移動しても無視
ほ・原型への鍵
ま・まんが坂の先
み・あつい奈良NET
む・5円かもしれんけど
め・アポロ397号
も・スリリング・ランドリー
や・アイツへの道

3、奈良のいきもの
奈良の水辺のいきものを紹介します。
ゆ・密度ななかで、住み別けを
よ・用水路かも
ら・密度な話をもうひとつ
り・彼等の楽園?

4、大和郡山の風景
奈良を代表する城下町、大和郡山の風景を紹介します。
る・街道のうらでは
れ・反逆の城郭
ろ・来世墓地石鳥居
わ・水上鳥獣対決

5、大和盆地南部の風景
大和盆地南部の風景をちょこっと紹介します。
ゐ・抵抗のえぐれ
ゑ・対称の闇?

6、奈良の本
奈良関連の書籍を1冊だけ紹介します。
を・借りてよかった、この一冊
ん・よかった1册と、いま


posted by 遷都1297年記念事業協会 at 00:00| Comment(11) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月20日

抵抗のえぐれ(橿原市)

yoheki-zenkei.jpg

すさまじい高さの擁壁です。上に見える戸建て住宅の大きさと比較すれば、その巨大さがよくわかると思います。

yoheki-minami.jpg

 上からみるとこんな感じです。なんだか、綺麗に田んぼのかたちに沿って、擁壁が立ち上がっています。

yoheki-kitagawa.jpg

 さて、180度視点を回転させて北側を見てみましょう。
田んぼの奥に、畑のようなものが見えます。

teiko-hatake-fukan.jpg

 この畑形状に沿って擁壁がえぐれています。
もちろん、これはあとから、擁壁がえぐりとられたわけではありません。

 もともとあった丘陵を宅地用に造成する際、この田んぼと畑は、立ち退きを断固拒否したのでしょう。その抵抗が、そのまま擁壁のかたちとなってあらわれたわけです。図解すると、、、

yoheki-axome.jpg

 こんな感じです。

この田んぼと畑からもともとあった丘陵がどんなかたちで連続していたかは、もはやわかりませんが、なんてことなく見える平凡な宅地風景と、かつての田園風景の不連続が、強烈に可視化されて、ここにあらわれています。

yoheki-kitagawa.jpg

 この切断面に、時空の捻れを感じてしまいます。そんな巨大な擁壁のある風景でした。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和盆地南部の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月19日

対称の闇?(明日香村)

hitaisyo01.jpg

 とある廃虚です。こんな言い方どうかとは思いますが、まるで断面模型のようにバッサリ崩れ落ちてしまってます。

 さて、この廃虚の有り様はすさまじいといえば、すさまじいですが、特に特殊な廃虚というわけではありません。ただ、そのお隣には、、、。

hitaisyo-02.jpg

 むっちゃ、素にふつう〜に、すっきりと現役の家が建っています。
この家、隣の廃虚の住人がここに新築したのか、それとも、もとからいた隣人なのかはわかりません。

 でも、対称的にまったく様相の違うものが配置されてるさまは何ともいえず不思議で奇妙な感覚を覚えます。

 双児の家の、他方がいつの間にか翳って、闇をたたえて沈んでいき、一方はただただ、綺麗にそこに在り続けるみたいな、、。そんな
妄想が襲ってくるものです(僕だけか?)。

 とある風景に、「対称の闇」を見てしまいました。

 
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和盆地南部の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月16日

よかった1册と、いま。(明日香村)

sekishitu-kara.jpg

いきなり、漆黒の国からすみません。これは飛鳥村にある岩屋山古墳の石室から、入り口を見返した情景です。漆黒の国というより、黄泉の国ですね。

 めっちゃ素で古墳の石室に入れちゃうのが、とっても素敵です。奈良県ってば。

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 さて、この古墳の外観は上のようです。こんもりしたまぁるい山に石室への入り口がぽっかり口を開けています。

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 そしてこの古墳の明治期の風景が上の図です。この絵は前回紹介した本に収録されているものです。借りてよかったあの1册です。

 この本には外にあらわれた風景だけでなく、石室も描かれています。復刻本では、図のように下部に赤ラインで石室見取りが描かれてますが、原盤では外観の図をペリッと上にめくると石室が見えるという、素敵なつくりになっていたようです。

 この古墳に関しては明治期の風景とさして変わってませんが、他の古墳を探訪した際に、絵図と比較しながら、その風景の変容を楽しみたいと感じました。

 やっぱり借りてよかった、この1册(めちゃくちゃ重たいけどね)。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

借りてよかった、この一冊。(奈良書籍)

kofun-kuchie.jpg

 何やらこんもりとした森のようなものが描かれています。これは明治時代の古墳の様相を描いたものの集成です。

 「大和國古墳墓取調書」という本で、最近よく探訪する図書館の奈良コーナーでふつうに閲覧でき、かつ貸し出しオッケイだったので、迷うこともなく、借りちゃいました。

 この本は、昭和60年に復刻されたものですが、もともとは明治期に野淵龍潜という人物が奈良県にある古墳を悉皆調査し、それを上記のようにまとめたものです。なんと740(!)もの古墳が彩色付きで収録され、当時の土地利用状況(田、畑、原野など)も書き込まれているのです。

 なので古墳の上に「畑」なんて文字が書き込まれてて、まさに現在にも通じる奈良っぽい風景が描かれているのです。別に古墳好きでなくとも、とても楽しめる本です。

 借りて良かった!そんな風に思える一冊でした。とっても重くて、自転車(ホワイトサンダー17号)悲鳴あげてたけどね。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月13日

古墳の谷のヒミツ。(奈良市)

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鉄柵の中にひとがたくさんいます。ベビーカーなどもあり、家族連れのひとも多いようです。

 ただ、なんだかみなさん、上を見上げ気味じゃないですか?
上になんかあるのでしょうか?

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 上空にはヘリが飛んでいます。この日は一時、空では轟音がとどろいてました。写真は、ヘリしかおさめれませんでした(気付いたときには遅かったのです。残念)が、戦闘機が飛行ショーをくりひろげていたのです(急降下や2機戦闘機の螺旋的クロスなど)。

 僕はたまたまチャリ(ホワイトサンダー17号)でブラブラしてたらでくわしたのですが、住民も来訪者もみんな熱心に上空を見上げてました。年に1回の自衛隊主宰「基地祭」らしいです。

 どうも毎年楽しみにしている方々がいるようで、基地の前はすごい人でした。

 さて、基地ですが、、

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 池の向こうに誘導塔のようなものが2基建ってます。この池、実は古墳の堀なんです。

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 ふたつの古墳が形成する谷間の向こうに自衛隊基地があるのです。
古代の墳墓の向こうから、轟音あげて戦闘機が発進していたわけです。

 天然な秘密基地に、すっごく古いですが、ウルトラマンな風景を感じました。しかもなぜかウルトラセブンを、、。

 ぼんやりと上を見上げて妄想してたら、古墳自体が、基地にみえてきました。石棺ミサイルや、石室戦車とかが、出動しそうなそんな気がしちゃいました。

 というわけで、古墳の谷の秘密基地でした。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

直列円盤の謎:前編。(奈良市)

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何やら芝生上に、平たい石の円盤が一直線状に並んでいます。
これはいったい何でしょう?

 すっごいベタな疑問を投げかけてしまいましたが、案外と面白い展開がこの後あります(ほんとうです)。見捨てないで次回をお楽しみにしてもらえたらと想います。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

直列円盤の謎:後編。(奈良市)

tyokuretu-enban02.jpg

さて、お待たせしました(もう待ってもらえてないかもしれないけど)。直列円盤ですが、こんなやつでしたよね。確か。これがここには数列並んでいます。これはいったいなんだったのでしょう?

 即答したいですが、まずは、この直列円盤のある場所がどんなところかを見ていきたいと思います。

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 直列円盤は、奈良市の大安寺という寺院境内の一画にあります。
その本堂が上の写真です。

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 その奥にもうひとつ、建物が見えます。いずれにしてもとっても人間的スケールの庶民派(?)な寺院風景です。

 さて、あの直列円盤ですが、この寺院のどこにあるのでしょう。

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 しつこくひっぱりますが、それに回答する前に、大安寺の南門を見てみましょう。やはり庶民的スケールです。

nanmon-uchikara.jpg

 同様に南門を別アングルから。庶民的スケールとかいいましたが、なんだかえらく基壇だけでかくないですか?これ。

 そう、あの直列円盤は、この基壇上にあるのです。あのスケールアウトした基壇、実は大安寺創建時の南大門の基壇を最近復元したものだそうです。

 もうおわかりかと思いますが、あの円盤は南大門の柱の位置に石盤を設置したものだったようです。

 この南大門、基壇だけではなく、実は秘かに復元する予定があるとか、ないとか、、。いますんごく復元がブームだからね、奈良。

 それはそうと、こやつ、平城宮の朱雀門と同等のスケールを有していたそうです。朱雀門というと、、。

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 うん、とっても大きいですね。でも、こんだけ野原っぽいと、巨大さが気になりません。しかし、、、。

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 創建時巨大だった大安寺もいまはこんな庶民的なスケールの寺院として落ち着いています。ここに南大門を復元すると、、

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 こ〜んな、とんでもない風景が出現します。なんの調整もなく、古代爆弾投下な感じです!!

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 内観はこんな感じ。すっごい爆弾です。でも、とっても奈良ならではの企画アンド風景なので、実は見てみたい気がしています。

 次回は、もう少し、古代大安寺の伽藍などの話を紹介してこのシリーズの補足としたいと思います。またお楽しみにしてください。

posted by 遷都1297年記念事業協会 at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大安寺伽藍いまむかし。(奈良市)

 「直列円盤の謎。(赤窓045-02)」で、大安寺が創建時においては、とても巨大な寺院であったことをお話しました。

 現在の境内と、創建時のスケールの違いを南大門イメージとの重ねあわせで示しましたが、平面的にはどれくらいの違いがあったのでしょうか?

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 これは大安寺境内を描いた古図です。境内南部には東西の塔がそびえたち、威容を放っています。確かにすごい大伽藍です。

 さて、現在の境内はというと、、、

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 図のピンク色の部分です。かつての伽藍の中心軸(南大門、中門、金堂、講堂、、)をはずした西脇にちょこんと現本堂が東面してあります。

 でもこれだけではかつての大伽藍と比較できないので、両者を重ねあわせた図を示すと、、

daianji-gwbjo+.jpg

 このようになります。現在の境内が無茶苦茶かわいらしいです。
かつての中心ゾーンがヴォイドになり、中心軸も90度廻転して東西軸へと変換されてます。西大寺を思い出すような空間変容です。

 というわけで、大安寺伽藍のいまむかし、でした。

 
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(1) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月10日

密度ななかで、住み別けを。(奈良市)

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 上の写真は、「コナベ古墳」です(正確には「小奈辺陵墓参考地」というようです)。

 でも今回は古墳が主題ではありません。またまた亀のお話です。

 以前「彼等の楽園?(赤窓009)」で奈良は異常な亀密度を誇ること、しかしながら、現在はその大半が外来種である「アカミミガメ」で占められていることを報告いたしました。

 さて、この古墳の堀をのぞいてみると、、、

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 やはり、すごい亀密度です。しかも「アカミミガメ」ばっかりです。日本古代の堀に、ミシシッピからの使者が居座っています。

 しかし、ここから少し離れたところをのぞくと、、、

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 おおっ。これはすべて「クサガメ」です。日本にしかいない亀ではありませんが、昔から住んでいた種のものです。「アカミミガメ」に押されっぱなしの「クサガメ」や「イシガメ」ですが、何とかすみわけることで生活圏を確保しているようです。

 akamimi-game.jpg

 さて、もういちど、「アカミミガメ」ゾーン。実は上から二番目に見える小さい亀だけは「クサガメ」です。一番上のおおきな「アカミミガメ」に足で甲羅を押さえ付けられてます。

 彼は「アカミミガメ」の軍門にくだって、奴隷状態なのでしょうか?それとも「クサガメ」ゾーンから秘かに派遣されたスパイ亀なのでしょうか?

 どちらかはわかりませんが、「クサガメ」さん、頑張って(別に国粋主義者ではないんですけどね)。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良のいきもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする