2007年05月26日

西大寺の変01。(奈良市)

 32-nanmon+.jpg

 奈良には西大寺という寺があります。現在では東大寺の方が圧倒的に有名ですが、元来、それと対をなすお寺です。

 今回からは、このお寺の「変」を御紹介です。

32-kidan.jpg

 本堂前の巨大な基壇。これは一体?

32-midori-butuzo.jpg

 そして境内西の端にたたずむ、とっても悪趣味な緑の仏像。緑すぎです。こやつは何なんでしょう?


 はい。今日はまずは導入ですので、西大寺の「変」の鍵となるものたちを、ちらっと紹介するに留めます。

 次回からこの「変」が何かなのかを順を追って見ていきたいと思います。

お楽しみに。

posted by 遷都1297年記念事業協会 at 20:27| Comment(1) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西大寺の変02。(奈良市)

32-kidan.jpg

 今回は西大寺の変なもののうち、まずは、この基壇からお話します。

 32-nanmon+.jpg

 南門をくぐると本堂までまっすぐ参道が伸びます。

32-kidan-hondo.jpg

 参道を進むと当然、本堂が近付いてくるのですが、その真ん前に基壇がどーんと鎮座しているわけです。

 この基壇、西大寺創建時にあった五重塔の基壇なのです。

32-kidanmiorosi.jpg

 その基壇を向くように本堂が建ってます。そして、本堂だけでなく
愛染堂も基壇を向きます。

32-kidan.jpg

 右手が本堂、奥の建物が愛染堂です。塔がない、単なる基壇なのですが、まさにこれを中核にすえたような何ともいえない伽藍となってしまってます。図解するとこんな感じです。

32-kidanmiorosi.jpg

 もう亡くなって久しい塔の根元に向けての、この求心的な構成。変な感じです。

 ただ、西大寺の変はまだまだ、これだけではないのです。それはまた次回にお話します。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西大寺の変03。(奈良市)

32-kidanmiorosi.jpg

前回はこの基壇に焦点をあてたお話をしました。この基壇に本堂や愛染堂といった主要建築が求心するといったお話です。

 この基壇を東から見てみます。

kidan+midori.jpg

 うん?基壇ごし、真西になんだか、緑の物体が、、、。

32-midori-butuzo.jpg

 そう、これはあの緑すぎる、気持ち悪さ満載の仏像ではありませんか。何故?

 ここで一度、この一体の伽藍を再度見ていきたいと思います。

garan.jpg

 前回確認したように、基壇を中核に据えた建築配置です。この基壇が創建時の五重塔のものであることはお話しましたが、この配置図をよく見ると「東塔跡」とあります。

toto.jpg


 ということは、これと対になる「西塔跡」というものがあると考えられます。では配置図の西の方に目を転じてみましょう。

saito.jpg

 ありました!!愛染堂後方に「西塔跡」の文字が!

 伽藍全体が東方に移動したのか、「西塔跡」は境内の西端のぎりぎり境界線上にあります。

 しかし、そちらを実際ながめても塔の基壇らしきものは何も見つかりません。そして、、

 もうおわかりでしょうか?「西塔跡」には基壇は残存せず、そのかわりに、あの緑のヤツがそれにとってかわって鎮座しちゃってるのです。やめてぇって感じですが。

32-midori-butuzo.jpg

 これを受けて、前回の図解を改訂したら、こんな感じになるわけです。

 garan-midorituki.jpg

 元来、左右対称のものの他方に関心が集中することで、見捨てられた一方はどんどん廃れていくのです。僕はこれを「対称の闇」と呼んでいます。

 緑の仏像を「廃れ」というと罰があたるかもしれませんが、僕には見捨てられ忘れ去られた西塔の最期の叫びのように見えてしまうのです。

 さて、西大寺はこの一画だけで伽藍が完結しているわけではありません。次回からは西大寺の全体伽藍の特性に関してお話させていただきたいと思います。お楽しみに。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西大寺の変04。(奈良市)

 少し間があいてしまいました。すみません。また再開です。前回は東塔跡の礎石を中核に据えた伽藍配置と、その傍らで廃れて緑の仏像へと姿を転じた西塔跡のお話(「対称の闇」)をしました。今回はこの一角を含む全体空間のお話をしたいと思います。

yonnodo.jpg

 本堂からだいぶ距離を隔てた東に、南面してたつ主要建物があり、その名を四王堂といいます。上の写真がそれです。この四王堂の正面には南北方向に参道が走り、

yonno-nanmon.jpg

 その参道の始点に南門があります。この風景、見覚えないでしょうか。

32-kidan-hondo.jpg

32-nanmon+.jpg

 そう、本堂とそこに向けて伸びる参道、そして南門。この1セットの風景と扱いがほぼ同じです。そこで本堂と四王堂を含めた配置図を見てましょう。

taisyo-garan.jpg

 上の図のようになります。この2セット空間が東西に距離を隔てて立地し、両者の中間ほどに位置する二つの院(増長院と華蔵院)のあたりが両者の対称軸を形成しています。わかりにくいので図解すると以下のようになります。

taisyozukai+.jpg

 このように西大寺伽藍は本堂を中心にする空間セット1と四王堂を中心とする空間セット2が対称的に配置されているわけです。

 ここで、うん?となりませんか?確か、東塔を中核にそこに求心するような、ほぼ対称な配置を前に紹介しました。

32-kidanmiorosi.jpg

 上の図がそうです。またこの基壇は東塔だったわけですから、それと対になる西塔があるわけです。つまり、元来は東塔と西塔自体がひとつの対称空間を形成していたことになります。

 このように西大寺にはいくつもの対称軸が見られます。それが最初の対称軸からどんどん東に移動しているのです。

 さて、今回はここまで。次回はこの「移動する対称軸」に焦点を当ててお話を進めていこうと思います。お楽しみに。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西大寺の変05。(奈良市)

 前回は、西大寺にいくつかある対称軸がどんどん、東へ移動しながら重なっていくというお話(移動する対称軸)をしました。今回はこのことに着目しながら西大寺空間全体のお話をしたいと思います。そうです。いよいよ佳境です。

zentai-garan.jpg

 さて、上の図が西大寺の境内全体の案内図です。とうとう全貌をあらわしやがりました(っていうよりこっちが勝手にちびちびと出し惜しみしてただけなんやけど)。ただ、これを、ぼんやり見てても仕方ないので、「移動する対称軸」という観点からこれを読みといていきましょう。

01-taisyo-a+.jpg

 まずは対称A空間です。創建時の対称軸です。でも現在西塔跡が不在なため、この軸を体感することはできません。

02-taisyo-b+.jpg

 次に対称B空間です。東塔跡を中核に据えた空間です。

03taisyo-c+.jpg

 そして、対称C空間。前回紹介したものです。そしてこれを重ね合わせたものとして全体を見てみます。

04-taisyo-kasane+.jpg

 このようにA〜Cの対称空間は少しずつずれて重なりあいながら、東進していき、その結果として全体空間が形成されるのです。さて、これらは全て南北軸を対称軸とする空間ですが、こんなように何本も対称軸があるとそれぞれの軸の空間的な主張が相殺して、弱くなってしまい、その結果南北軸自体も弱体化してしまいます。そのためか、現在の西大寺では南北と直交する東西軸の方が主軸となっています。図解すると以下のようです。

 06-tozaikukan+.jpg

 四王堂の東に東門があり、そこがメインアプローチとなります。図の赤い矢印が人の動きです。東門をくぐって参道を西へと進み、四王堂、本堂を横に見つつ西へ西へと進みます(東進する対称軸と逆で先祖帰りのような経路)。その視線は東を向いて建つ愛染堂(図の赤い四角)で受け止められ、西進はここでストップします。ですがここらあたりの中核を占める東塔跡が、あたかもロータリーのような回転を誘導する装置として機能し、ひとびとは東塔まわりを回転して本堂南門から西大寺を去るか、一周まわってもとの道を逆にたどるかするのです。

 そして愛染堂によって西進がとめられるため、古代の軸(西塔と東塔が形成する対称軸)は完全に見えなくなり抹殺されてしまっています。

 対称空間をいくつもずらしながら、重ねあわせることで南北軸もそれぞれの対称空間も微弱になり、それにともなって個々の建築の存在感も薄くなります。

32-kidan.jpg

 この写真を見ても、わかるように個々の建築はその大小に関わらず、存在感が薄く、ひとびとが歩く際、その行動にリズムとアクセントを与える程度の位置まで落ちてしまってます。逆にひとが具体的に行動する参道空間が妙に際立ちます。図解すると以下のような感じです。

07-32void+.jpg

 結局対称空間も個々の建築も後退して、図の赤いヴォイドのみが残るような空間となってしまうのです。実際、西大寺は探訪する人が案外多く、いつもにぎわっているのですが、特に何を見るでもなく、ずるずると東西方向を歩いて東塔まわりをうろうろして、そして帰っていく風景をよく目にします。

toto.jpg

 創建時において彫刻的な威容を誇った東塔。現在中核にあるように見せかけて、その上部構造をうしなった東等跡は、実はもはや回転運動を誘発するロータリーになっちゃったわけです。嗚呼。ある意味、緑の仏像に化した西塔跡よりきついかもしれないですね。

 さて、長〜く続いた「西大寺の変」。実は書き始めたときから、ここまで考察できていたわけではありませんでした。連載続けているうちに考えを進めることになり、ここに至ったというのが本音です。

 1、対称空間をすこしずつずらしながら重ね合わせいくこと。
 2、その結果それに直交する軸線が発生し強化されること。
 3、逆にそれぞれの対称空間やそれを形成する個々の建築が微弱化し、行動にリ  
   ズムを与える役割程度の存在へと変化すること。
 4、その結果、純粋に行動空間たるヴォイドが発生すること。

 これはまさに、ひとつの「造形システム-かたちのしくみ」です。これはもう、「赤い窓」超えて、「Dの扉」へ昇格なネタです。

 とっても個人的なよろこびで申し訳ないですが、やってよかった!復帰連載。読んでいただいたみなさま、おつきあいいただけて本当にありがとうございました。

 Dの赤い所長(紺色のTシャツ着てるとクレームのついた) 渡辺菊眞
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西大寺の変06。(奈良市)

 前回で「西大寺の変」、連載終了しましたが、今回はおまけです。

 西大寺は、創建時において、東塔、西塔を対にした対称空間で、その後、いくつかの対称空間がそこを起点に東へずれながら重なっていって、最終的には創建時とは全く違う空間へ変換されたことをお話しました。さて、その創建時なのですが、、、。

saidaiji-sokengaran.jpg

 こんな伽藍だったようです。南北方向に並ぶ回廊に囲まれた金堂がふたつ。ここが伽藍の中心です。その南にこの伽藍を荘厳するために付加された、ふたつの塔(東塔と西塔)。

 おい、ちょっとまてよ。いまある西大寺、創建時の中心伽藍があったところとまるで関係ない場所じゃないですか(ちなみに現在そこは住宅地です)。

 古代の伽藍のうち、残された東塔跡を起点に全く別な空間へと変換し、しかも東塔をロータリーのごとくにしてしまったのは、古代の栄光を喪失した深い悲しみを忘却したかったからなのかもしれません。

 いまはもう、かき消されて久しい古代の対称軸が、なんとなく、そんなことを思わせます。

 変だけど、せつないなぁ。西大寺。みなさんこの寺探訪の際は、やさしくしてあげてくださいね(なんのこっちゃ)。ではまた。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西大寺の変07。(奈良市)

 「西大寺の変」、連載中にお見せしてなかったことがあったので、遅ればせながら御紹介します。本日で、そんなやりのこしたことなどはみんな終えて、この長く続いた連載をしめくくりたいと思います。

07-32void+.jpg

 これは前回示した、現在の西大寺空間の特質を図解したものです。要は建物が後退して、ひとびとが行動する空間のみがヴォイドとして浮上するといったことでした。

 しかしながら、この空間経験を実感できるような写真を御紹介してませんでした(というより、用意がなかったのです)。そこで今回は、この赤く塗ったヴォイドの空間経験を写真を主にして疑似体験してもらいたいと思います。

01tomon.jpg

 これが東門です。現在では東西軸が強くなり、この門が寺院へのメインアプローチとなっています。

02tozai-sando00.jpg

 東門をくぐって参道へ出ます。

03tozai-sando01.jpg

 ほどなく、右手に四王堂が見えて来ます。

04yonnodo-omake.jpg

 これが四王堂です。

05tozai-sando02.jpg

 ここを過ぎて、すこし彎曲した参道を進むと、、

06tozai-sando03.jpg

 東西方向にまっすぐ伸びる参道へと出ます。

07tozai-sando04.jpg

 この再奥に東を向いて建っているのが愛染堂です。視線はこの建物で受け止められます。

08sando+hondo.jpg

 このまっすぐの参道を進むと右手に、今度は本堂が見えてきます。

09hon+aizen.jpg

 右手が本堂、奥が愛染堂です。

10toto-lotary.jpg

 そして本堂の前方には、東塔跡があります。

11toto-lotary02.jpg

 基壇まわりが八角形で囲いこまれていることによって、ロータリー的空間が、より強調されます。

12lotary-mawaru.jpg

 このように実際にこの回りをひとは廻転します。

13sando+nanmon.jpg

 さて、東塔跡をぐるっと回って、僕は南門へ至る参道へと歩をすすめます(一周回るともと来た道を逆流することになります)。

14nanmon-kuguri+.jpg

 南門まで来ました。ここをくぐると西大寺から去ることになります。

 現在の西大寺空間を疑似体験してもらいました。いかがでしょう?先にお話したように、やはり建築の主張は極めて弱く、逆に参道というヴォイド空間のみが際立つように感じます。

 古代の建築は彫刻的であったといわれます。塔自体はもう存在しませんが、その基壇が、彫刻的在り方から最も隔たったヴォイド空間を形成するのに大きな役割を果たしていることに、とても不思議かつ面白く感じています。

 今回は西大寺でしたが、またこのような古代空間の変容が体感できる場所を紹介できたらと願っています。

 これにて本当に「西大寺の変」は終了です。長いあいだ、本当にありがとうございました。

 Dの赤い所長 渡辺菊眞
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 平城京の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月15日

移動しても無視。(奈良市)

34-idokanban.jpg

横断歩道が移動したそうです。赤い文字で声高に宣言しちゃってます。

34-kiehodo.jpg

 ちょっとわかりにくいですが、かすかに横断歩道があった痕跡が路上に見られます。うん。かき消されたようです。横断歩道。そして、、

34-ido-hodo.jpg

 元の位置から約30メートル南方に、新しい横断歩道がひかれてます。白いラインがとってもフレッシュです。

34-musihodo.jpg

 しかし、道を直角に横断するのが面倒なみなさんは、このせっかく移動した新しい横断歩道には見向きもせずに、西大寺駅へとショートカットするため、斜方向(南西方向)に斜断しちゃってます。

34-zukai.jpg

 図解すると(こんなん図解すんなよ)こんな感じ。

 嗚呼、移動したのに、無視。、、、なんだか切ない。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 03:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良の日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月14日

用水路かも。(奈良市)

 ただいま「西大寺の変」を連載中ですが、その合間に通常読みきりタイプの赤い窓もお送りしたいと思います。

 33-yosuiro.jpg

 田んぼや畑が圧倒的に多い奈良ですので、それに水を供給するための用水路も数多く走ってます。用水路は幅がせいぜい2メートルにも満たないくらいとっても狭いものがほとんどです。

 でも、、

33-kamo.jpg

 こんな狭っちいところなのに、鴨がいたりします。亀や鯉と違ってその密度(鴨密度)がいかほどかは判らないですが、「用水路鴨」、これまでに何度も遭遇してます。

 あまり見つめていると、橋の下に隠れるシャイなやつなのです。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良のいきもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

原型への鍵。(奈良市)

sanman-michi.jpg

よるべきところがまるでないような、散漫な風景です。
道の中ほど右側に、木の茂りが見えます。

nokori-ie.jpg

 ぽつんと木造住宅が一軒建ってます。道に面した2面におびただしい植物が植わってます。

 上の写真はあまりに散漫でしたが、この散漫な風景に落ち着く(?)までにずいぶん風景は変容していったはずです。もし、この取り残されたよな木造住宅が亡くなっていたなら、風景が変容していったことすら、もう考えるきっかけを失ってしまうでしょう。

 こういう建物の存在だけが、かつてここにあった風景への想像をなんとか誘発させてくれる鍵となるのです。
posted by 遷都1297年記念事業協会 at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良の日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。